レッテル攻撃

Tibetan-girlbaby

少しフザケタ内容のあるのかないのか云いにくいものが続いたので、ちょっとはブログらしい記事でも書こうかな。あ、まともな内容とは言っとりませんからね。それから写真は、当然内容とは関係ありもはん。場所はチベットのナンカルツェ。

この前ツイッターの雑感を書いたけれど、ツイッターに限らず、ネット上にはプロアマ国籍性別年齢関係なく様々な「人格」から発せられた文章が溢れ返っている。それも混沌としか言いようのない程の膨大な量であるが、それでもある程度やっていれば、その中からある一定の傾向を持つ「人格」の型が幾つか見えて来る。
けれど、そういった型は時の流れにしたがって常に変化し続けるので、いつまでも静的な型を当てはめて判断していると、そのうち幻想に変わってしまう。
つまり、安易に人をタイプ別に決めつけるのはおよしなさいってことなんやけど、それが現実には簡単には当てはまらないのも事実である。
というのも、他人が貼付けたレッテルを安易に流用し、特定のレッテルに対してだけその人を見ずにレッテル攻撃を繰り返す人がわりといるようで、けっこう目につく。つまり、そのようなレッテルしか見ない輩という型が明らかに存在し続けているというね、ホンマ鬱陶しい現実ですわね。
確かに他人の貼ったレッテルを流用することは誰にでもあることだけど、たとえ無意識にでもそのレッテルが妥当か検証するもんだ。だから「案外」なんて言葉があるのだしね。それに方便としてのレッテルを敢えて貼る場合もあるけど、何れにせよレッテルは所詮レッテルだという前提がある。
だけどレッテルしか見ない人たちは、レッテルと矛盾する部分を目の当たりにしても無視するか気が付かないでいる。(もちろん全員がそうとは言わない。あくまで型の話である)

ええいじれったい!一気に書きたかったことに突入するど!

と、いうわけでだ、レッテル攻撃しかしないという型の全体像を述べるには、あまりにも準備不足だし、元々そんなことを書きたいわけではなかった。書きたかったのは、幾つもあるレッテルのうちの特定のレッテルについてである。一つは「アップル信者」というレッテル。もう一つは「人権屋」。

先ずは「アップル信者(教徒)」について。
これは前にも書いたかもしれないが、Mac信者なら解るけど、Apple信者なんて存在するのかな?おそらくiPodあたりから生じてきた言葉なんだろうけど、言い出しっぺは、いうなればSony信者かな。Windowsという多数派に胡座かいてりゃ良かったのが、Appleだと?何じゃそれってところにiPhone。更にIntel MacでMacに乗り換えずにいたらVistaネタでバカにされて…。そりゃ面白くもないわな。おまけにiPadでメイドインジャパンのプライドまで深く傷つけられてね。
でもね、MacユーザーはAppleに関しては案外醒めてるんよ。だからApple信者というのならiPhone信者と言った方が実態に即しているような気がしないでもない。(あ、iPadがでたから、えーと、えーとややこしい!!)いずれにしろMac信者はいてもApple信者はレッテルとしては幻想(被害妄想)に近いと思う。いや、もっと言えば、いわゆるApple信者(いるとすれば)の中にMac信者は含まない方がいい。
とまれ、AppleだろうとMSだろうとGoogleだろうとSonyだろうとAmazonだろうとAdobeだろうと、どうだって良いと思うんだけどね。自分が良いと思うものを使って楽しめばいい訳で、それを自分が使ってもいないものをクソミソにこき下ろし、そのユーザーまで悪し様に言ったところでメーカーから感謝されるわけでもなし。そんなことで一時の憂さ晴らしをしたところで、ふとした自己嫌悪に陥るのがオチだわね。

げ!もうこんな時間だ。
今日はこの辺にしときまひょ。
この続きはまた気が向いたらにします。

ごきげんよう。

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