チベットは国名ではないのか?

このところ気持ちが腐ってメインのブログですら更新する気力が萎えている。いわんやTIBET BLoG…。

なので意識的に更新しないとブランク長くなっちゃうので今回はムリヤリ感満載でポストしました。でも大切なことだから、いいや。
 
私は無条件でチベット独立を唱えるつもりはないですが、しかし中国の実質支配を認めるつもりは更にない。私が中国に求めるのは、隣人の幸せを脅かすなということだ。
そげな私がカチンときたのは、中松氏の件ではなくて、次の「雑誌」文章中の表現である。

「チベット」というと国名と勘違いしている方もいるようですが、正確には国ではなく、平均標高4000mを越える中国西方の広大な自治区のことを指します。(高度も高けりゃハードルも高い、“秘境”への道のり web R25 7月30日(金) 10時 5分配信 / エンターテインメント – エンタメ総合

何をかいわん、である。
   
元々独立国だったチベットは中国に武力で強引に統合されてから現在までその占領下にあり、亡命政府がインドにある。こんな事は旅行ライターなら知っていて然るべきことで、その史観からすればチベットは国の名前でもあるのだ。そういった見解の存在を読者に考慮させずに自治区に限定してしまうようでは、提灯記事と評されても仕方がない。
 
日本では「国の公式見解=正しい」という大いなる誤解があるが、国の公式見解はあくまで時の政権にとって都合のよい解釈のことであって、必ずしも正しいとは限らない。特に国の沽券に関わること、存続に関わる重大事であればあるほど恣意的に捩じ曲げられる可能性は高くなる。チベットなどはまさしくその良い例で、もちろん民間が従わなければならない義務はない。
 
さて、旅人の心は自由であるべきだ。でなければ本当の姿が見えず、できる限りの縛りを注意深く避けることで旅は良いものになる。むろん公式に従うことを気にするなんてもっての外で、これは旅のスタイルの如何に関わらず、たとえ団体のパックツアーであっても同じこと。”尤もらしい”即ち”胡散臭い”が旅人の基本である。だから“尤もらしい”ことに意味がある日常生活からすれば旅人とは胡散臭い存在で、何食わぬ顔で日常生活の心を少しでも丸裸にしようとして心の扉を遠慮なくノックする。旅人とはそういうものだ。
もちろん日常生活に於いても多少の差はあるにせよ同様のことはある。その意味では旅人とは心の持ちようであり、だからこそ普段の生活領域でも旅人になることはできるし、逆に旅行をしてるのに旅人になれない単なる旅行人(あ、この表現は問題あるかな?)なんてこともあり得る。
これ以上書き進めると本格的に脱線してしまいそうなので本線に戻るけど、さて、この文章は旅人の書いたものだろうか?
少なくとも旅に関心のある人向け、それもタイトルからして秘境に関心のある人を対象にしており、執筆者(複数)はチベット経験者のようだが、私には当たり障りのない役人の挨拶みたいな印象しか無い。そりゃま「諸般の事情」による営業判断もあるのだろうが、それにしても地球の歩き方の方がまだ面白みがあるってもんだ。
 
以上、カチンときたついでに書いてみた。

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