久しぶりにツイッターの使い方について

ツイッターで連続RTはウザイからやめるべし!フォロワーのTLが汚れることとか考えろ!と云う呟きを見かけて、ちと思うことがあったので、久しぶりにツイッターの使い方について書いてみる。

問題の連続RTだけど、件の呟きでは非公式RTをチェーン状にどこまでも続けることなのか、数多くの公式RTを連続ですることなのか、ちょっと判断しかねるので、とりあえず総論的なところから書いてみましょうかね。

基本的にツイッターは自由に使っていいと思う。だからTwitterが提供する機能をどう使おうと勝手である。しかしツイッターをどう捉えるにせよ、リアルなコミュニケーションを限定的に再現した場である以上、リアル社会での最低限の礼儀や気遣いなど不文律な「約束」があってしかるべきだ。いくら気にくわないからと云って、いきなり面識のない相手を罵倒していいわけがないし(残念ながら、誹謗中傷をくり返すだけのアカウントは後を絶たないが)、とにかく相手を不機嫌にさせる言動は傍目にも不愉快なものだ。やはり最低限の社会常識はツイッターでも必要である。もちろん社会常識の解釈には人によって違いがあるのだが、要するにリアルな相手に面と向かって言えないようなことは、@を付ける付けないに関係なくツイートしないのがマナーだと思う。

さて、そんなマナーに照らし合わせば、非公式RTの取り留めのないチェーンも大量の公式RTの連続も、ダウトということになるのだろうか。

端的に言うと、マナーとしてはマイナス評価だ。非公式RTのチェーンは無関係な人にとって無意味なTL荒らしでしかないし、連続公式RTもその意図に賛同だとしてもTLを占拠するほど延々と続くと迷惑でしかない。だから非公式RTのチェーンはなるべく止めようと心掛けているし(なかなか守られないけど)、大量の連続RTも何度か直接本人へ止めるよう@とばしたこともある。

でも最近は、というかいつの間にか考えが変わってきたようで、明確ではないものの一定のラインを超えなければいいんじゃないの?と思うようになってきた。つまり、やって良い悪いで区分けするのではなく、これを超えたら拙いというラインを臨機応変に判断してコントロールするのだ。それが出来ているのなら、あとは自由にやればいい。それでもし「コレはさすがに非常識だ」と思っても、どうしてもやりたい場合は前もって断りを入れ、場合によっては終わってからも以上であるとフォローをしておけば宜しいのではないか。

もちろん人によって常識は異なるから限界ラインも異なる。その為に揉め事や不満の素は絶えないが、そういった経験をシェアするうちに限界ラインが均一化してゆき、その過程で揉め事や不満などは解消されるのではなかろうか。

ところで、以前の私もそうだったが、公式RTの膨大な連続への抗議などで、よく「(関係のない)他のフォロワーのTLを荒らす」「フォロワーの迷惑になる」から止めろという人がいる。

人の迷惑を考えろと言いたいのだろうが、考えてみれば、おかしな話である。自分のTL上で起こった事について問題にしているのに、他の人のTLを理由にしているのだから。自分のTLだとしても、その人をフォローしたのは自分である。自分のした事の結果なんだから、それは自分の責任であり、文句の言える筋合いではない。それに、「みんなが迷惑」「みんなが不愉快」といった多数派頼りの威圧が無意識とはいえ垣間見れる。「みんなが」じゃなくて、自分が不愉快なんでしょ?自分が撒いた種は自分で刈り取る。もちろん一般論として訴えている場合もないわけではないが、たいていの場合、不特定多数の他人を笠に圧力をかけようとする無意識を感じる。

ま、そんなわけで、ツイッターは一般常識の範囲内で各自の自由に使って良いんじゃないの?他人があれこれいう問題じゃない。

なんじゃこの無難な終わり方は!

ま、いっか。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中